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Piersports

About Pier Sports

HISTORY

古い友人のヒロの甥っ子(株式会社吉兆堂4代目)から連絡があり、アメリカのハンティントンビーチのピアー(桟橋)で会うことになりました。

Pier-Sportsを一緒に立ち上げたメンバーのヒロ達との最初の出会いも、このピアーの上で、それは、もう40年以上も前の1977年頃の事になります。Pier-Sportsの名前の由来もここハンティントンビーチのピアーから来ています。

 

其の頃の南カリフォルニアは、サーフカルチャーの一部でしかなかったスケートボードが、サンタモニカビーチ界隈から新しいスケートボードのカルチャーとしての人気を博していて、主に、リタイヤした人たちの住処であったビーチサイドの生活が、若者によって新しい形に生み出された、1980年代のサーフ/スケートカルチャーの爆発的なブームが来る前触れの頃でも有りました。

 Pier-Sportsは1975年頃から、UCLAに近い、Westwoodという場所を中心に、アメリカ生活を経験していた20代の友人達で、自他共認める結構おしゃれなスポーツ店として夙川という町でスタートさせました。

 

気に入っていた南加のライフスタイルを続けたくて、無謀にも日米間の輸入会社と其の輸入送品の販売小売店を合わせた形のビジネスとして、いい形で動き出したのですが、結果は人生の経験不足、日本の古いビジネス習慣にも慣れず、4年足らずで終了してしまいます。
各自、人生の挫折を味合うことになるのですが、それはそれで、別の人生を歩んで行くことになります。

Pier-Sports終了までの経緯は、又折を見て書くとして、当時発刊された”POPEYE"にも若者の新しい形のビジネスとして紹介されたり、その後の世界的なサーフ/スケートカルチャーの定着を見る限り、目指していた、新しいライフスタイルの方向は、間違っていなかった様です。

10年前、還暦を迎えた頃、思うところがあって、Pier-Sportsの再スタートを試みました。
昔の主なメンバーの5人の内、中心で動いていた2人(ヒロ、タカシ)は残念ながら既に他界していたので、今度はサイトを作ってビジネスをするという、既に競争の激しいビジネスに老体で参入することになりました。手伝ってくれているメンバーも皆、還暦を超えた老体で、今度は、其の老体にガタが来て
、やむなくしばしの休息をするハメになります。


身体も回復して、プランも状況に合わせて修正し、新しい形が出来始め、方向を模索してる時、ヒロの甥っ子から連絡があって、無事に因縁のPierで会うことが出来ました。

 

新しいPier-Sportsが、再スタートしそうです。

 

Director 浅井

Piersports

from Los Angeles & Japan
40年の長い時を経て再スタートしたPier Sports
セレクトしたものから、オリジナルデザインまで

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